私も平昌五輪後の「プロ転向」を望んでいた。 - 羽生結弦 成功への軌跡

私も平昌五輪後の「プロ転向」を望んでいた。


今日もゆづに関するニュースを中心にご紹介していきます。

国際オリンピック委員会のバッハ会長が羽生選手にメッセージを
贈りました。

羽生結弦にIOCのバッハ会長が緊急メッセージ 
世界中から「いいね」

東スポ

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『」五輪2連覇の羽生結弦さんがプロスケーターへの転向を表明した
ことを受けIOCのトーマス・バッハ会長はオリンピックの公式
ツイッターにメッセージを寄せた。

素晴らしいオリンピックキャリアを築かれたこと、おめでとう
ございます。あなたは真のオリンピックチャンピオンです。
スケート人生における次のステップでの健闘を祈っています」
「私たちはこれからもあなたを応援し続けると共に、またお会い
できることを楽しみにしています
」と書き込んだ。』

凄いですね。「あなたは真のオリンピックチャンピオンです」
と言われるなんて。

今年は確か冬季五輪があり、羽生選手ではない人が金メダルを
獲ったのですが、このような褒め言葉を言われてた記憶はないです。

私達はいつも思っています。
羽生結弦こそ、真のフィギュアスケーターであり最も偉大な
スケーターだと。

の記事、とてもよかったです。

「羽生結弦」が歩む、唯一無二の道
スポニチアネックス

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『彼は強く、美しかった。

 他のスケーターがうらやむタイトルを積み上げ、世界最高得点を
何度も更新。クワッドアクセルへの果敢なアタックもあった。
「同じ演技って1つとしてない。その時、その会場、その日でしか
生まれないもの」。

そう、彼の演技は一期一会。練習から、一瞬たりとも目は離せない。

現場にいようが、テレビで見守ろうが、パソコンを立ち上げ、
彼の名前を変換する時、いつも僕の鼓動は早く、手は汗ばんでいた。

これまでも、今も、これからも。羽生結弦は、羽生結弦にしか
歩めない道を進む。』


羽生結弦さん “皆様のおかげ” JOCなど訪問しサポートに感謝
NHK

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『羽生結弦さんが20日午後、JOC=日本オリンピック委員会などを
訪れて、これまでの競技生活へのサポートに感謝を述べました。

会見から一夜明けた20日午後2時半すぎに東京 新宿区にある、多くの
競技団体が入る建物にスーツ姿で訪れました。

羽生さんは、JOCと日本スケート連盟で関係者にあいさつを行い、
このうちJOCでは、羽生さんのオリンピックでの活躍をまとめた
スライドショーを見ながら、それぞれの写真の思い出を話し、
これまでのサポートに感謝のことばを述べました。

また、日本スケート連盟では、理事や職員などおよそ20人を前に
あいさつし「小さい頃から国際大会への派遣や競技会に出場できたのは、
スケート連盟の皆様のサポートのおかげです」と感謝を述べたうえで、
「これからもよろしくお願いします」と話しました。


何て礼儀正しい方なのでしょう!
スケート連盟から感謝されてもおかしくないのに。

そして日本スケート連盟は羽生選手のコメントを公開しました。
これはスケ連のHPからダウンロードすることができました。



羽生選手のコメントは以下の通りです。


応援してくださった皆さまへ

今まで大変お世話になりました。

これまで、皆さまに大切にしていただいたおかげで、こうして競技生活をしっかりと
送ることができました。僕は10歳から海外の競技会に出場してまいりましたが、
様々なところに行けたおかげで、人生が豊かになりましたし、競技活動をとおして
色々と勉強してこられたと思っております。

今まで競技生活を支えてくださった皆さまには、本当に、感謝してもしきれません。
まだ終わりではないですが、まずは一区切りとして、これまでたくさんのご支援を
い ただき、ありがとうございました。

これからも、さらに進化できるよう、成長できるよう、限界に挑み続けたいと
思いま す。

ありがとうございました。
そしてこれからもよろしくお願いいたします。

羽生結弦


JOCもスケート連盟もうれしいでしょうね。
こんな感謝の言葉を「世界の羽生結弦」からもらえたこと。

そして、ご自分から選手登録の取り消しをお願いしたということです。

羽生さん、特別強化選手外れる スケート連盟に
登録取り消し願

東京新聞

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『競技会からの引退を表明した五輪連覇王者の羽生結弦さんが21日、
日本スケート連盟の22年度特別強化選手を外れた。

同連盟によると、所属先だったANAから選手登録の取り消し願が
提出されたため。

連盟は4月、当時は進退を明言していなかった羽生さんを21〜22年
シーズンの成績に基づいて特別強化選手に指定していた。

羽生さんは19日の記者会見で「競技会に出るつもりはない」と表明し、
アイスショーに軸足を移すプロ転向を宣言した。』

競技会に全く未練がないと言い切ったゆづですから早速、
登録抹消しに行かれたのでしょう。

これでインチキ採点を推し進めてきた「競技会」ともお別れして
スッキリしましたね。(^o^)

長いアマチュア選手生活でしたが、これからはアマチュア選手が
追いつけないくらい高いスキルとハイクオリティな演技で、プロの
名にふさわしいご活躍してくださることでしょう。

ほ〜んと、このような腐った採点しかできないク◯ジャッジとも
おさらばできて清々しました。(私の感想です)

さあ、今度は好きなだけ一流のアーチストとコラボレーションして
ハイレベルなアイスショーを開催してくださいね。

3年前に羽生選手とFAOIでコラボしたTOSHIさんが早速メッセージを
くださいました。

Toshl 羽生と再共演熱望「心よりの敬意と感謝」
「応援団の一員として楽しみに」

スポニチアネックス

『Toshlが、フィギュアスケート男子の羽生結弦のプロ転向に
「応援団の一員として楽しみにいたしております」とスポニチ
本紙を通じてエールを送った。

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【以下、コメント全文】

羽生結弦様

これまで、たくさんの感動、勇気、笑顔を、世界中の人々に与えて
下さったその偉大なる功績と、それを如何なる時もやり続けて
下さった汗と涙の胆力に、心よりの敬意と感謝を申し上げます。

私にとって羽生さんとの出会いは、まさに大きな羽を授かるが如く
、思い悩む人生の転換期に、力強い励ましとチャレンジへの甚大な
推進力を与えて下さいました。

言葉には尽くせませんが、ただただ、「ありがとうございます」。

いつもファンの方のお気持ちを大切にして下さる羽生さんがお決めになった
新たなる道。多くの応援団の一員として楽しみにいたしております。

そして、叶うならば、もう一度羽生さんが舞うリンクで歌わせて
頂く夢を見させて下さい。


長い競技人生、お疲れ様でございました。

心身のご健康と益々の飛翔、切に祈念いたしております。

龍玄とし(Toshl)』

TOSHIさんのアメブロで、原文を見ることができます。

私達も願わくば、CWWのような羽生結弦プロデュースのアイスショーで、
TOSHIさんをお招きしてぜひ、コラボしてほしいと思います。
そこで4Aなんて跳んじゃったら最高でしょうね!

久々に「Ronza」を見ました。
あの嫌味な青嶋ひろのではなく、田村明子氏が執筆していました。

羽生結弦の競技引退によせて──10年前と5年前の彼の言葉から
RONZA

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『7月19日、羽生結弦選手が記者会見で競技生活に終止符を打ち、
プロに転向する意向を発表した。
2010年の秋にシニア競技に上がってから12シーズン。
多くの負傷に見舞われながらも、ついぞ1シーズンも丸々休むことなく
闘い続けた。


27歳の彼にいつかこの日が来ることは、予想していた。
だが心のどこかで、スーパーヒューマンの羽生なら、まだまだ続けて
くれるのではないか、という思いもあった。

北京オリンピックの演技を見ても、少なくとも今季の埼玉世界選手権
までは十分にトップで競う体力はありそうに思えた。
だがこうした余韻を残して潔く身を引く、というのはいかにも羽生らしい
という気もしている。


筆者は羽生選手がシニアに上がった直後から、取材を続けてきた。
中でももっとも印象に残っているのは2012年にトロントのクリケット
クラブで、単独インタビューをさせてもらった時のことだ。

羽生が2012年3月にフランスのニース世界選手権で銅メダルを手にし、
その後カナダのブライアン・オーサーコーチに師事することになった。

トロントに拠点を移したばかりの彼を現地取材させてもらったのは、
2012年8月。
今からちょうど10年前のことになる。

当時のインタビュー原稿を読み返してみると、こんな時代もあったなと
感慨深いものがある。当時の羽生の貴重な言葉を、ここで少し紹介してみる。

ニース世界選手権のフリーの後半で、羽生はステップの途中ですとんと
尻もちをついた。その時どんな思いが心をよぎったのか。
改めて聞くと、本人はこのように語った。

「途中でこけてしまったときは、もう帰りたくなるほどでした(苦笑)。
でも4回転を降りた瞬間より、転んだ後のほうが声援がすごくて、
その応援の力をもらってあの演技ができました


 「どうしよう、と思って、こけるまでもスローモーション、
転んでから立ち上がるまでも20秒ぐらいかかったような気がしました(笑)。
でも応援に背中を押してもらった。あの大会で、やっときちんと
(応援の力を)受け止められたと思いました。誰にも言わなかったけれど
、足首も痛めていて自分の中では不安でした。練習でもそれほど調子が
良かったわけではなく、できるだけ短い時間に集中してやっていました。
フリーに入る前に集中して目をつぶって入っていったんです。
本当に観客の方々に力をもらって、感謝しきれないくらいです


観客から力をもらった、というのはその後羽生が競技活動を通してずっと
繰り返し口にしてきたことである。この大会の時に、17歳の羽生は
「やっときちんと(応援の力を)受け止められた」と実感したのだという。

この後、「ニース世界選手権のメダルの後、道で知らない人に声を
かけられるようになりましたか?」
と聞くと、「仙台ではあります。
でも『スケーター』という印象が強いらしく、小塚さんですかとか、
高橋さんですか、とか聞かれます」
と羽生は苦笑いをしながら答えた。

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天下の羽生結弦にも、こんな時期があったのかと改めて懐かしく思い出す。

その後彼が、世界でもっとも知名度の高いアスリートの一人になり、
日本では外を自由に歩くこともままならなくなるだろうとは、当時は
筆者自身も予想していなかった。


このインタビューではたっぷり小1時間ほど、話を聞かせてもらった。

だがこの取材から1年半、2014年ソチオリンピックで男子シングル史上
初の日本人金メダリストになり、あれよあれよという間に羽生は
「世界の羽生結弦」になった。

そしてこのような贅沢な単独インタビューの機会は、なかなか訪れなかった。


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その貴重な機会が再び訪れたのは、2017年8月。

平昌オリンピックシーズンを控えた羽生が、やはりトロントのクリケット
クラブでメディア用の公開練習をした時だった。

各記者、許された制限時間はわずか5分という厳しい条件だったものの、
それでも久しぶりに1対1で話す場を与えられたのは、ありがたいことだった。

1対1と言っても、もちろん日本スケート連盟の広報担当者が携帯の
タイマーを手にしてすぐ後ろに控えていた。
こちらも用意していた質問をカバーするのに精いっぱいで、羽生が
どのような表情でどのような反応をしたのか、残念なことにあまり
覚えていない。

でも最後の質問のことだけは、はっきりと覚えている。

「あなたのその強さは、どこから来るんですか?」。
記者として、というよりも個人的に興味があって思わず出た質問だった。

「自分が強い、と思ったことは一度もないんですよね」

羽生は、まっすぐ筆者の目を見ながらそう答えた。
その時、目の前に座っていたのは5年前にニコニコと屈託のない
笑顔を見せていた細身の青年ではなかった。


相変わらず細身だが、以前より一回り筋肉が全身について、顔立ちも
引き締まり、全身からオーラを発していた精悍なアスリートだった。

 「自分の弱さばかりが目につくんです」

羽生がそう答えたのは、メディア向けの建前ではなかったと思う。

自分にそういう厳しい目を向け続けていたからこそ、ソチオリンピックで
優勝した後、息をつく間もないほど次から次へと見舞われた怪我で
満身創痍になりながらも、何度も歴代スコアを更新させ、国際大会で
メダルを取り続けてきたのに違いない。


 「こけてしまったときは、帰りたくなるほどだった」というニース
世界選手権から、10年。彼ほど遠くまで羽ばたいた選手を、他に知らない。

競技生活にピリオドを打った羽生に、「あなたは全然弱くなかった。
誰もの手本になる強い選手でした」と声をかけてあげたい


これからの羽生結弦が、どのようなプロ活動を繰り広げていくのか楽しみだ。』

ほぼ全文、転載させていただきましたが、とても素敵な文章だったと
私は思いました。

10年前、17歳だった羽生選手は世界選手権の銅メダルに輝いた後でも、
まだ1時間もインタビューができたのに、それから1年半後には、
五輪チャンピオンになり、取材するのも大変なメガスターになって
いたのです。

それでも「自分が強いと思ったことは1度もない」というのですから、
驚きですね。

でも、田村さんが言うようにそれぐらい自分に厳しかったからこそ、
二度も五輪王者になり、さらには多くの偉業を成し遂げることが
できたのでしょう。

そして今、田村さんは羽生選手に「あなたは全然弱くなかった。
誰もの手本になる強い選手でした」
と言ってあげたいと。

ただ、私は思うんです。

「全然弱くない人間」なんて世の中に一人もいないのです。
「強く」みえるのは、自分が弱いことを自覚しているからなのです。

確かに羽生結弦はスケートの大会では1番強かったです。

でも、それは弱い所を知っているからこそ、強くなろうと努力した
結果だと思うのです。

羽生結弦の強さは、普通の人の数倍も努力し続ける意思の強さでは
ないでしょうか。

PS:19日の記者会見を職場のテレビで見ていた時、冒頭の感謝の
言葉を聞いた途端、『あ〜…やっぱり現役の選手をやめてしまうんだ」
と思ったら、涙があふれそうになりました。

すぐ横に利用者の男の子がいたから堪えていましたけど、一人で
家であの会見を見ていたら恐らく、声を上げて泣いたことでしょう。

私はここ数年、ゆづが平昌五輪で金メダルを獲った後からずっと、
試合のたびに「ゆづを辞めさせたいかのような潮採点しかして
くれない」ことに腹が立って仕方がありませんでした。

なので、「ゆづより明らかに実力が劣っている若手に負けさせられる前に
引退してほしい」
と願い続けてきました。

ゆづファンブログである以上、ネガティブなことは書いてはいけない
という気持ちがブレーキになり、心の底からの本音は封印していたけど、
正直、「勝ち逃げ」を望んでいました。

今季も同じ気持ちでした。

もうこれ以上、「能無し且つ、不正を行うジャッジ達」に
「世界最高のスケーターである羽生結弦」を採点させる必要なんてない
と。

羽生結弦というフィギュア界のゴートは彼らがジャッジできるような
レベルの低いアスリートではないのですから。

ブログでもそれは何度も言い続けてきました。

だから、今回、羽生選手の口から「そこに対する評価をもう求めなく
なってしまった
」とか「もう別にここのステージにいつまでもいる
必要はないかな」
という言葉を聞いた時、心の底から同意しました。

そうですとも!こんな目が節穴で無能なジャッジに自分の演技の
価値や評価を決めさせる必要なんてどこにもないのです。

ゆづもきっと、正しく評価されなくなったことに相当悩み、苦しんで
きたんだろうと思いました。

そして彼は言いました。
より上手くなりたい、より強くなりたい。より高いステージに
立ちたい。より一層努力したことが皆さんに伝わるステージに行きたい
」と。

これって裏を返せば、今のフィギュアスケート界はゆづが理想として
いるフィギュアスケートからかけ離れてきているということです。

それは選手たちがよりうまくなったり強くなるどころか、ジャンプさえ
跳んでいれば、美しくて難しい技は習得しなくてよい
といってるような
ものだからです。

それはもはや羽生結弦が追い求めてきた大好きなフィギュアスケートでは
ないのです。

羽生結弦が理想として追い求めてきたフィギュアスケートは、
「ゆづご自身があこがれた時代のスケート」なんですね。

だから、羽生結弦が「競技会に出ない」と決めたのは、ゆづが大好き
だった時代の、ゆづが追い求めている理想の形のフィギュアスケートを
さらに追い求めるた
めなのです。

そこは「新たなステージ」であり、「一歩高いところに上がっていく」
と自分の中で位置づけている」
ところなのです。

羽生選手はこれまでの「プロフィギュアスケーター」という概念を
変えたように思います。

「プロ」なのですから、競技会に出て順位を争う「アマチュア」
レベルのスケーターより、全ての点において上手でなくてはならないと、
教えてくれたような気がします。

プロなのですから、アマチュアが跳べない4Aにも挑むのでしょう。

ゆづのことですから、アイスショーでは自分が跳んだ4Aを、「人」
ではなく、「AI」に「評価」させるかもしれませんね。

そんな日を私は心から楽しみにしたいと思います。

遅くなってしまいました。

それではまた(^^♪

放送予定

羽生結弦 緊急SP 15年間の秘蔵映像で振り返る、
知られざる激闘の日々。『バース・デイ』7/23(土)【TBS】



羽生結弦の緊急特番 7/23 テレビ朝日系 本人もスタジオ出演。
18:56〜

■ ファンタジー・オン・アイス放送予定
テレ朝チャンネル2
【完全版】
<幕張公演 初日>
■7月23日(土) 午前11:00〜

<幕張公演 2日目>
■7月24日(日) 午前11:00〜

<幕張公演 最終日>
■7月24日(日) 午後2:30〜

<静岡公演 初日>
■7月30日(土) 午前11:00〜

<静岡公演 2日目>
■7月30日(土) 午後2:30〜

<静岡公演 最終日>
■7月31日(日) 午後5:30〜

エンタメーテレでは7/31の13:00から再放送があります

8月のFAOI放送予定 CSテレ朝2

<名古屋公演 初日>
■8月6日(土) 午後3:00〜

<名古屋公演 2日目>
■8月7日(日) 午後3:00〜

<名古屋公演 最終日>
■8月7日(日) よる6:30〜

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2022-07-22 | Comment(3) | TrackBack(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
マリリンさん皆さんこんにちは
結弦くんが無事プロ転向をはたして、競技からの卒業を祝いたいです。

10代の頃の結弦くん、平昌後に引退のビジョンを描いていましたね。その発言が記事に出たら、連盟から釘を刺された記憶があります。
本来なら、あそこで引退もあり得ました。「身体が動くうちにプロに転向したい…」とも言っていました。

競技続行したおかげで、四大陸を優勝しました。男子初のスーパースラム達成です(^-^)
しかも一週間開催がズレていたら、コロナ禍で韓国での四大陸は中止になるところでした!
結弦くんはさすが、持ってる男です。これだけでも続けてきた甲斐が有りましたね。

ISUは愚かな泥舟です。日米連盟も鬼畜でした…
結弦くんは脱出できて良かったわ。彼の思うようなショーが出来ますように。
コロナが収まれば、アジアツアーも叶いますね♪
Posted by てるこ at 2022.07.22 14:25
 マリリンさん、オンリーファンの皆さん、今晩は。

 あの会見依頼、自分の心の中の整理がつかず、もう試合で見られないという一抹の寂しさを感じたり、今後の羽生選手の活躍を想像してワクワクしたり、本当に揺れ動いたこの3日間でした。
 でもマリリンさんのこの文章を読ませていただき、全て同意と心がすっきりしました。マリリンさんの文章は本当に素晴らしい。ここまで理路整然と大切なことを落とすことなく書ける方、なかなかいらっしゃいません。自分の心の中をきれいに整理してくださったというのが一番の感想で大変うれしく思いました。本当に有難うございます。すっきりと前に進めそうな気がします。

 明日はまた特集祭りですね。じっくり楽しみたいです。特にテレ朝の特集では、余分な人達の出演や余分な画像のねじ込みのないことを願っています。2日前のフジの特集は結構よかったのですが、お笑いタレントさんを加えるのはやめてほしいです。三田さんと無良さんは素晴らしかったです。
 特に無良さん、これまでのOBの中で一番好感が持てました。今後羽生選手のアイスショーで共演する可能性があるのじゃないでしょうか。コンティニューにも出演されていましたね。ちょっと妄想ですが。彼、浅田さんのショーに名前がないことが気になっていました。あのショーは、ちょろちょろと無名の出演者名を出して忘れないでキャンペーンをしていますから、後から名前が出るのかもしれませんが。無良さん、どちらのショーに出演する方が価値が高いか、十分分かっておられると思います。

 寄らば大樹の陰で、今後色々な人達が羽生選手にすり寄って来るでしょうね。政界、財界、業界、スポーツ界、でも懸命な羽生選手と懸命な羽生サイドです。地に足の付いた道をしっかり歩んでいかれることと思います。これからも全力応援です。
Posted by フィギュアファン歴39年 at 2022.07.22 21:09
マリリン様お久しぶりです

羽生選手がとうとう飛び立ちましたね。
私も北京後こそタイミング的に次のステージに上がるには最良だと思っていました。次のステージだっていばらの道です。誰も通ったことのない道なのですから。
私は、私の大切なお金が羽生くんに正しく届くことを喜び、薄汚れたものを見なくて済むことに喜び、以前と同様羽生くんを応援していきます。

Posted by チロ地 at 2022.07.23 08:30
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