静岡千秋楽の「ダム・パリ」の感動再び。 - 羽生結弦 成功への軌跡

静岡千秋楽の「ダム・パリ」の感動再び。

ゆづオンリーファンの皆さま、こんばんは(*^-^*)
珍しく、1日2記事目の更新です。

先日お伝えした大田龍子さんによる「静岡公演のダムパリ」の感想、
本当に素晴らしかったですね。

今日は改めて太田さんが描いてくださった『舞台に神が宿るとき_2・
羽生結弦のノートルダム・ド・パリ 2022』
について書かせていただき
たいと思います。

YouTubeに動画が出ていますので、お借りして動画を見ながら、
太田さんの文章を読みたいと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=9ud5_GeRy8g


舞台に神が宿るとき_2・
羽生結弦のノートルダム・ド・パリ 2022

太田龍子さんによるコラム。

いつものように記事からの引用、抜粋、言及部分は私の言葉と
区別するために色を変えています。

静岡で開催されたファンタジー・オン・アイス2022千秋楽…オオトリの
羽生結弦「レゾン」が終わり、興奮が冷めない熱気の中、アーティスト
たちが暗闇からステージに再登場し、サプライズ演奏が始まる。

曲はミュージカル「ノートルダム・ド・パリ」から「Danse my Esmeralda」。
歌声とともに漂うように下手から顕れた白い人影。

「レゾン」の衣装を纏い、ステージ背後を通って光の中に姿を見せた
羽生はよろめき、膝をついて、すがるように「Danse my Esmeralda」を
歌う歌姫に手を差し伸べる。

演技というべきなのだろうけれど、渾身の「レゾン」を滑り終え、
疲弊しきって引き上げた彼を見たばかりの観客たちの目に、本当に
倒れそうに映ったとしても不思議はない。


haniu1561.png

焦がれるようなまなざしを送りながらも歌姫に触れることなく
立ちあがった羽生は、十字を切り、この世のものではない何かに
憑かれた目をして氷上へと踏み出してゆく。


あの日のステージが思い出されるような、とても素晴らしい描写ですね。
「焦がれるようなまなざし」
「この世のものではない何かに憑かれた目をして…


羽生結弦の表情とその表現力に魅せられたシーンでした。

「この日は最期の1曲「Danse my Esmeralda」に乗せて舞うコレオ
シーケンスからラストまでのクライマックス部分。
世界中の不幸を背負ったように醜いノートルダム寺院の鐘撞かねつき男
カジモドが、片恋の相手、無実の罪で処刑されたエスメラルダの亡骸を抱き、
ともに死ぬことを願って歌う。ミュージカルの中でも最終曲であり、
この世では報われない恋にすべてを捧げようとする男の究極の恋歌だ。

本来なら男声のパートだが、天上界まで届ききそうにに高く甘やかな
新妻聖子の歌声は、流星のようなイナバウアーでリンクをゆく羽生の姿と
呼応し、ミュージカルともヴィクトル・ユーゴーの原作とも違う世界を
出現させていく。


羽生結弦の演技を美しい歌声で盛り上げていく、新妻さんの歌唱に
会場にいる私達は酔いしれていました。

さすらう眼差し、繰り返し差し伸べられる腕。
純白と紫に染め分けた羽生の上着の裾は旋回するたびに舞い拡がって
月下美人の花のよう。その姿は醜い鐘撞男でも、天使と悪魔を心に
住まわせた炎のようなジプシー娘でもなく、永遠に手に入らない相手に
焦がれる「恋」そのものの化身
だ。
初演から10年の時を経ながらいっそう透明度を増したように見える
羽生の恋歌が、白いサンクチュアリに刻まれていく。


haniu1562.png

羽生選手の姿を「恋の化身」と表現する太田さんの感性に私は
新鮮な驚きとでもいうのでしょうか…。とても驚くと同時に
心から共感しました。まさにあの時の羽生結弦はカジモドでもなく、
エスメラルダでもありませんでしたね。

 『ともに逝こう
 哀れな私の魂を解き放てるのはお前だけ
 お前とともに逝くことは死ではない』





『熔とけるようにに形を変える艶やかなスピンを回り切り、羽生は天を
仰いで舞い納めた。折れてしまいそうに華奢な姿で、かろうじて
踏みとどまったラストのあやうさが演技なのか、疲労のなせる業
なのかはもはや判別不能だ。』


haniu1563.png

この「あやうさ」こそが羽生の大きな魅力のひとつだ。
どんなに大きな試合でも、怪我をして体調がベストでなくても、
ひるむことなく技を尽くして挑む姿勢は17歳の世界選手権初出場でも
3回目のオリンピックとなった北京でも同じ、というよりますます
エスカレートしているように見える。
綱渡りのような挑戦、追い詰められた極限状態でしか見えてこない、
手に入らない何かを追いかけているのだろうか。


そしてここから太田さんは羽生結弦の姿と「能」の世界とを
重ね合わせておられました。

応えてはくれない相手との永遠を望む切ない歌と、性別を超越した
ような羽生の嫋々とした舞姿は能「井筒いづつ」を思い起こさせた。

過ぎた年月、変わってしまった景色、去ってしまった人を恋うる歌を
口ずさむ。

クライマックスは…愛しい男になり替わって舞う序じょの舞まいである。

至高の恋を主題とし、世阿弥が畢生の傑作と自負したとされる「井筒」は、
嫉妬も怨みも、おそらくは性別も超越した揺るぎない狂恋の風景を幻のように
描き出してみせた。


能のことはよくわからないけれども、羽生結弦が舞う姿や表情を
見て思い出されたということは、それほど透き通った美しさを持つ、
魅力的な演者であり、演目だったのだろうと思いました。

フィギュアスケートというフィールドにおいて、羽生はある意味
「上手うますぎる」域にまで達して
、彼自身もそれを自覚し、
新しい地平を求めているのではないだろうか。

それは躓つまずく様に速いリズムでスケートの技を引き立てるには
むかないように見える「レゾン」をまったく斬新で誰もでまねできない
作品に仕上げて見せた
ことでからもうかがえる。

羽生結弦はメダルや記録だけでは満足できず、これまでにない驚き、
発見、感動を創りだしたいという欲求に突き動かされているようだ


確かにもうこれ以上何をどうしたいのだろう?と思えるほど、
羽生結弦選手のスケートは巧すぎると私も思います。

どんなスケーターも決して真似をすることができない、羽生結弦に
しかできない「真のフィギュアスケート」。

私にとっては、「羽生結弦」という名前すら、畏れ多くてやたらに
語って欲しくないほどです。

そして最後に太田さんはこう問いかけておられます。

しかし、あのようにジャンプ、スピン、スケーティング、
ダンス、体のライン、衣装、立ち居振る舞い、すべてにおいて
完璧を追及しほぼ成功してしまったら、その先に何を求めるのか。
』と。

サプライズで演じてくれた2012-13年シーズンの「ダムパリ」は、
それに通じるヒントを与えてくれたのでしょうか。
太田さんはそのように思われたようです。

そのひとつのトライアルが2022年6月26日の「ノートルダム・
ド・パリ」にあったのかもしれない。

どこまでがジャンプでどこからがステップなのかおよそ見分けが
つかないほど複雑な「レゾン」の直後、消耗しきった己を追い込む
ように挑戦を重ねることで、技術や作為的な表現を超えた「何か」を
呼び込もうとしたのではないか。


ノートルダム・ド・パリ2022」には名工の手になる陶器が窯の中で
炎に焼かれ、予測できない窯変(ようへん)や自然釉(しぜんゆう)
によってえも言われない景色を生じたような、意思や制御を超越した
何かがあった。
羽生自身はあの日、何をつかみ取ったのだろうか。


わずかな時間で、しかもサプライズとして滑ってくれた演技が、
これほどまでに人々を魅了し、見る人の心に感動を与えることが
できるのは羽生結弦しかいません。

まさに唯一無二のスケーターであり、最高のスケーターだと思いました。

私は2012-13シーズンのフリーのダムパリは振り付けがイマイチ
好きではありませんでしたが、とても好きなプログラムなので、
大人になった羽生選手にぜひ、再演してほしいと常々思っていました。

今回、その願いが叶って本当にうれしかったです。
静岡公演、千秋楽は最高でした。

他の何を見なくても、羽生結弦選手の演技だけ見れればチケット代の
元が取れたと言ってもいいぐらいです。

そして、太田さんの素晴らしい文章のおかげで、あの日の感動が再び
蘇ってきてとても幸せな気持ちになりました。

ゆづロスになる夏ですが、しばらくはこのダムパリをリピート
しながら過ごしていきたいと思います。

それではまた(^^♪

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2022-07-08 | Comment(2) | TrackBack(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
マリリンさん、こんにちは。

太田さんのコラム、ご紹介ありがとうございます。

目で見た感動、特にゆづの場合は何故か記憶が飛び最終的に「凄いものをみてしまった!」との陳腐な感想しか言えない私なので、太田さんの言葉を一言一句、頷きながら読ませて頂きました。
静岡大楽、私はライビュで見てたのですが、
あまりの美しさに画面に釘付けになり、瞬きするのも忘れるほどでした。「この世のものではない、何かに憑かれたような目をして」との表現に震えました。確かにあの場面の美しさはこの世のものとは思えない神々しさがありましたね。
今でも、繰り返し何度見ても、あの時の感動が甦ります。それだけ、ゆづの演技、技術、想いが強かったダムパリだったのかと思います。
2013年の世界選手権でのダムパリ。また見たくなりました。演技後に氷上に崩れるゆづを見て、また泣いてしまいそうですが。その後に大楽のダムパリを見てまた泣く、という無限ループに今日もどっぷりハマりそうです。
Posted by あややん at 2022.07.08 10:09
マリリンさん、今晩は。いつも有難うございます。
ダムパリには本当にやられましたね。私も毎日リピートしてうっとりしています。27歳ならではの妖艶な美しさもあり、でも10代の頃の可憐さ一生懸命さも感じられて、本当にうっとりです。
2012年の全日本で見た時は、若過ぎてまだこの振り付けをこなすのに精いっぱいかなという風に見えました。逆にショートのパリ散は十分こなれていて、この若さで凄いなあと思ったものです。
振り付けが18歳の羽生選手には重すぎたように見えました。今なら、あのプログラムを難なく、しかも情緒たっぷりに余裕をもって演じられることでしょうね。ぜひ通して見てみたいものです。あのピンクのグラディエーションの衣装も羽生選手のスタイルの良さを際立たせていて好きでした。
このサプライズは、きっと羽生選手のアイデアなのでしょうね。羽生選手は本当にショーのプロフェッショナルだと思います。世界中のファンがこの喜びを共有していることも嬉しいです。羽生選手のように全ショーに全力投球されていると、静岡最終日には出し尽くした感でいっぱいだったことでしょう。おっしゃるように、羽生選手の演技だけでファンタジーのチケット代金は十分過ぎるぐらい観客にペイされているということですね。逆に、このメンツ、この演技で、ファンタジーと同じ代金じゃあ、ぼったくりじゃないかという声をあちこちで聞きます。ショーとしての質を高めていかなくては近い内に淘汰されていくショーばかりです。
Posted by 瑠璃 at 2022.07.08 20:40
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