ゆづオンリーファンの皆さま、こんばんは(*^-^*)
明日は羽生選手の誕生日ですね。
今年は多くのファンの方が誕生日を祝うのとは別に羽生選手の
足の回復を祈願しています。
羽生結弦12・7バースデー 各地で回復祈願の“前夜祭”…
地元神社「遠方からも来られる」
東スポweb

五輪2連覇・羽生結弦の誕生日が前日に迫った6日、
ファンの間で前夜祭ムード≠ェ漂っている。
『毎年、グランプリファイナルの開催時期に迎える誕生日。
当日は羽生にゆかりある全国各地の神社にファンが訪れるのが
通例だが、今年はケガでGPシリーズを欠場しただけに
回復祈願の希望者が殺到しそうだ。
一方、誕生日メッセージを募集する地元のタウン誌もあり、
SNSでも徐々に祝福ムードが漂う。』
記事によると宮城に「羽生天神社」というのがあるそうですが、
2018年あたりからファンの”聖地”になっているとか。
へ〜知りませんでした。(´・ω・`)
私は神社・仏閣にはいかないし、興味もないので知っていても
行かないとは思いますが、皆さん凄いですね。
名前が似ている神戸市の「弓弦羽神社」や、羽生選手も
訪れる長野市の「長田神社」にも多くのファンが参拝に
行っているようです。
皆さんは年末・年始にはどこに行かれますか?
良かったら教えてくださいね。
ところで、これは昨日見たニュースですが、政府は来年の
北京五輪を目指す選手に対しては特例措置を講じるようです。
「オミクロン株」水際対策、北京五輪・パラ目指す選手に特例措置へ
読売新聞
「オミクロン株」の水際対策を巡り、来年2〜3月の
北京五輪・パラリンピックを目指す日本選手に対し、政府が
特例措置を講じる見通しであることが4日、分かった。
代表選考会を控える選手に対し、厳格な行動管理などを条件に
帰国後の待機期間中の練習を認める方針を固め、競技団体に伝えた。
今回の特例により、一般との接触を完全に絶つなどの感染対策を
徹底することで、待機期間中も練習することが可能となる。
北京五輪の日本代表選考では、23〜26日のフィギュアスケート
全日本選手権に出場予定の一部選手がまだ帰国していない』
14日間の隔離期間中、練習をすることができるということです。
海外拠点から帰国してくる選手の皆さん、よかったですね。
さて、ちょっと間が空きましたが、今日もマッシさんの講演から
羽生選手のすばらしさについてみてみましょう。
■マッシミリアーノ氏の講演動画より
L’ALTRO GIAPPONE2021:マッシミリアーノ・アンべージによる
「トータルパッケージ〜羽生結弦に捧ぐ」
マッシさんに限らず、フィギュアスケートを長年見てきた
人なら誰でもこう思うと思います。
『羽生結弦はフィギュアスケート界を変えたと』
つまり、フィギュアスケート界は「羽生以前」と「羽生後」と
言うように分けてみる必要があるということです。
興味深いことにマッシさんはこのようにおっしゃっています。
羽生結弦はどういう存在なのか?
「羽生結弦はフィギュアスケートの2つの時代の分水界」だと。
「彼以前のフィギュアスケートと彼が現役中のフィギュアスケート、
そして彼の現役後のフィギュアスケートがやがてやってくる」
「彼が引退した後、フィギュアスケートは変わるだろう」と。
マッシさんが羽生選手の演技を初めて見たのは2008年9月、
メラーノのジュニアのグランプリ大会でのことでした。
12月には14歳になる、当時13歳だった羽生選手を公式練習で
見て、衝撃を受けたのだそうです。
『突如、何もないところからアウトサイドエッジのイーグルから
フェンス程の高さのある2アクセル!
この少年の何もないところから実施出来る能力に衝撃を受けた』
と、話しています。
しかも、羽生少年はジャンプだけではなく、スケーティングも
素晴らしかったようです。
『彼は既に質の高いスケーティングスキルを持っていました。
少年にはスケーティングの能力がありました。
当時はなかなか見かけられないようなスケーティングでした。
フィギュアスケートをこれまでとは異なる方法で解釈する
13歳の少年に出会ったことに私は感動しました。』
アンチはよく、羽生選手のスケーティングにケチをつけますが、
当時から彼のスケーティングは質が高かったことがわかります。
YouTubeにはファンの方が撮影した動画が残されていました。
お借りして貼らせていただきたいと思います。
2008 JGP Merano SP 6_min
SPの前の6分間練習の様子です。
当時のマッシさんもこの動画主の方と同様に、13歳の華奢な
羽生少年にくぎ付けだったようです。
確かに今の羽生選手を彷彿とさせるアクセルジャンプです。
長い助走からではなく、何もないところからいきなり跳んでいます。
フィギュアスケートを異なる方法で解釈するとはどういう意味か?
この練習中、羽生少年は公の場で初めて3Aに挑戦しました。
何度も激しく転倒しながらも、挑戦していたのです。
しかし、彼はいつもすぐに立ち上がりました。
羽生少年だけが常にジャンプの前後にトランジションを
入れていたのです。
マッシさんは「当時、このようなフィギュアスケートの
コンセプトを持っていることに」衝撃を覚えたのです。
余談ですが、この「羽生少年の何度も何度も転倒しては
立ち上がることに感動した」と話したスケーターがいたのを
思い出しました。
今、シニアになって活躍している羽生選手の後輩、佐藤駿君です。
彼も、仙台のリンクで羽生選手が何度も何度もジャンプの練習で
転倒しては立ち上がる姿を目にしてきました。
そしてその姿に感動していたそうです。
この動画の19:22秒あたりに出てきます。
佐藤駿くん(小5) 夢に描くキセキ 3.11を乗り越えて

「駿君には小さい頃に見た忘れられない光景があります。
それは転んでも転んでも何度も挑戦する羽生選手。
駿君はこの何度も立ち上がるお兄ちゃんの姿が大好きでした」
羽生選手の「転んでも転んでも何度も立ち上がる」姿は、
多くのファンを感動させてきましたが、それはずっと前から
駿君やマッシさんの心や脳裏に焼き付いていたのですね。
マッシさんは羽生少年から受けた衝撃を3つ、話してくれました。
『とにかく、この日本の少年は鮮烈な印象を与える3つの
側面において私に衝撃を与えました。
一つ目、彼はずっと自分自身に話しかけていました。
ジャンプの後、転倒の後、彼は自分のやるべきことを手の
ジェスチャーで真似ながら、自分自身に話しかけ、修正し、
これもかなり異例なことでした。
浅田真央も小さな少女でしたが、彼女はこのようなアプローチは
行っていませんでした。非常に超然としたアプローチです。
次に私に衝撃を与えたことは、ジャンプは彼の友達だということです。
運動競技のジェスチャーとしてのジャンプではなく、まるで
コミュニケーション手段として挿入されたジャンプなのです。
我々がいつも見ているジャンプとは、真逆のジャンプでした。
3つ目は、どんな酷い転倒の後でも常に再び立ち上がることが
出来る能力でした。』
浅田真央すら行っていなかったことを行っていた羽生選手は
やっぱり昔から優れた存在だったのですね。
ちなみにこのメラーノでのフリーの演技です。
2008 JGP Merano Yuzuru Hanyu_FS
当時の動画が残っているとは、この動画を撮ってくれた
ファンの方に感謝です。(*^-^*)
マッシさんが感動したあの2008年にタイムスリップする
ことができますね。
今日はここまでにしたいと思います。
続きはまた次回以降に書かせていただきます。
PS:最近、言い訳ばかり書いていますが、子犬の甘噛みが
悩みの種になっていて、時間さえあればしつけの動画を探して
見ている状態です。
夕べもブログを書き始めたものの、ついつい子犬のことで
頭がいっぱいになってしまって、書き終える前に疲れて
しまいました。
めげそうになりますが、飼った以上頑張らなくてはですね。
それではまた(^^♪
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ゆづのお誕生日こちらでご一緒にお祝いしたいです。
ゆづ、27才のお誕生日おめでとうございます。
ゆづの新たなる年が幸せで満ちた年になりますよう、そしてゆづの夢に描いた演技が見られる日をいつまでも待っています。
足の怪我が回復に向かっていますように祈っています。
様々な困難を乗り超えてきたゆづには沢山の幸せが待ってますからね!!
いつまでもいつまでもゆづを応援していきます。
マリリンさん、子犬ちゃんの躾頑張ってくださいね!!