震災から10年。羽生選手はいつも人のために頑張ってきた。 - 羽生結弦 成功への軌跡

震災から10年。羽生選手はいつも人のために頑張ってきた。


ゆづオンリーファンの皆様、こんにちは(^^)/

おなじみマッシさんのツイートが記事になりました。

「GOE+6=完璧!」羽生結弦が24時間テレビで披露した
“力みが無い演技”に欧州名物解説者が称賛!

DIGEST

『フィギュアスケート男子で五輪2連覇の羽生結弦が、
日本テレビ系『24時間テレビ44』でアイスショーを披露。
震災から10年の節目を迎えた今回、震災時に練習していた
アイスリンク仙台で『ホワイトレジェンド(白鳥の湖)』
『花になれ』を披露した。

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羽生はまず東日本大震災の後、初めて観客の前で滑った
『ホワイトレジェンド』を選曲。

この力強い演技に海を越えた識者も注目。

欧州衛星放送局『EUROSPORT』でフィギュアスケートの
解説を担当するイタリア人、マッシミリアーノ・アンベシ氏は
「フィギュアスケートにおいて“力みがない”という意味に
疑念を抱く方、特に英語圏の方々。ユヅル・ハニュウが
素晴らしい4回転トゥーループを跳ぶことによって、
その概念を証明しているよ」と称賛。


さらに「どれも異なる踏切と着氷のトリプルアクセルだが、
たった1つだけ共通点がある。GOE+6=完璧だ
とコメント。
 
「優れた高さと飛距離、そして優れた踏切と着氷だ。
力みがなく、高難易度でクリエイティブ。
とても優れた身体の位置であり、エレメンツと音楽が
マッチしている
」』

完璧同意ですよ!(*^▽^*)
さすがマッシさん。はっきりと言い切ってくださいましたね。

今までの3Aだって絶対に+5だったはずなのに、悪質なジャッジや
テクニカルには、いつも低い採点しかしてもらえないのですから。

見識者やファンにしたら採点を見るたび怒りがこみ上げてきます。

もちろん今の採点ルールに+6というのはないですが、
ゆづに限ってはこれまで低められてきた分、+10ぐらいにして
返してもらいたい気分です。

今回の「ホワイトレジェンド」も「花になれ」も本当に
素晴らしい演技でしたね。

昨日のeveryはこちらのサイトで見ることができます。

『羽生結弦 震災10年 スケートを続ける意義』

日テレニュース24

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少しでもいろんな方がたが、僕の演技を見て前を向く
きっかけになったらなと思います。
苦しみだけじゃなくて、幸せもすべてに寄り添っていけるような
演技をしていけたらいいなと思います。


ほんと、素晴らしいコメントですね。

(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウン♪
ゆづは常に誰かのことを思い、特に苦しんでいる人たちの
気持ちに寄り添って言葉を発してくださいますし、心を込めて
滑ってくださっています。

「10年間、本当にありがとう…」という感謝の気持ちしかない
私たちですが、これからもずっと「寄り添ってくれる」なんて。

涙が出ますね。(*ノωノ)

2018年の五輪後に「自分のために滑ってもいいかな」と
思ったのに、気づいてみたらもう次の五輪シーズンまで、
スケート連盟のため、ファンや被災地の方がたのため
頑張ってくださいました。

また、災害があると「寄付」という形で、様々な被災地に
いる方がたに対しても寄り添ってくださいました。

もう、これからは本当に自分の夢のためにだけ滑ってくれて
いいと思います。

今季こそ、長年の夢である4Aの成功を目指して思う存分、
励んで欲しいと思います。

今回の放送を見て、改めて思ったのは、本当にあの大きな
地震の時、ゆづがここにいたんだな…と…。

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当時はまだ16歳になったばかりの高校生でしたね。
いつものように練習に来ていて、あの大震災に遭遇したのでした。

「怖い怖い」と言いながら揺られていた…。
「ヤバイなと思った」…。

どれだけの恐怖を味わったのかと思うとね。(*ノωノ)💧

そして、毎年流される同じ映像ですが、この言葉を聞いた時、
涙が出ました。

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もうこれ以上ご飯が食べられないんじゃないか

育ち盛りの少年が、「生活すること」の不安を抱えながら
狭くて寒い避難所でおびえながら生きていたのかと思うと、
胸がつぶれる思いでした。

あの時、もしも私がもっとフィギュアスケートを見ることに
時間を費やしていたら、或いは羽生選手のことを知っていた
かもしれないと思うと、そして羽生選手があの日、こんな
辛い状況にいたことを知ることができていたらと思うと、
当時の自分に「バカバカ」と言いたい気持ちでいっぱいです。

知ったからと言って、仕事や家族を放り出して東北まで
何かしに行けたわけではないかもしれません。

それでも、羽生選手にお手紙を書いたり、仙台市に救援
物資を送ったり、自分にできることをもっと真剣に考えて
いたかもしれません。

今そんなことを思ってみても仕方ないんですけどね。

ただ、あの当時は関東も仙台ほどではないにしても、大きな
被害が出ていましたから、正直、自分たちのことで精いっぱい
だったのは事実です。

私などは、自宅から車で40分以上もかかる職場に行く
ための「ガソリン」さえ、手に入れることができず、
会社からは「歩いてでも来てもらわないと」などと言われて
落胆していました。

「歩いたら何時間かかる距離なんだよ…無理だから」

当時、親切な知人がわざわざ都内からガソリンを分けに
家まで来てくれましたが、頂けたのはわずか5リットルでした。
それでも助かりましたし、分けるために遠い都内から来て
くれた知人に心から感謝しました。

ある日、ガソリンを売っているスタンドがあるという情報を
聞きつけ、早朝5時から並びにいきました。

ガソリンを入れてもらえたのは、午前11時を回っていました。
それから仕事に行ったので、当然遅刻です。(^_^;)

当時は食料品や日用品すら買えませんでした。

仕事が終わる夕方にスーパーによっても、飲料水もお米も
カップラーメンもパンも何にもありませんでした。

電車も数日間、止まっていましたし、電気の供給も、
地域によって時間が決められていました。

今まで生きてきて、あの時ほど「震災が起きるとこういう
ことになるんだ」と、しみじみ実感したものです。

それでもまだ、東北の被災地に比べたら関東はマシな方でした。

こうして10年前のことを思い出すと、いかに宮城県や
福島県の方がたが大変な思いをされていたのか…、と、
改めてあの大震災の悲惨さを感じます。

羽生選手には特に誰よりも幸せになってもらいたいと思います。

今は物質的にも経済的にも困窮することはないでしょうけど、
大好きな生きがいでもあるフィギュアスケートで、不正とも
いうべき採点に苦しめられています。

これ以上、ゆづには辛い思いをしてもらいたくないです。
だから私たちは何があってもゆづの味方だし、これからも
ゆづの幸せのために、自分ができることを行って、ゆづを
支えていきたいと思うのです。

何だか、とりとめのない話になってしまいました。

今日は15:30からのお仕事です。

拘束時間が長いので、次の更新は明日の恐らく午後になって
しまいますが、また明日更新いたしますね。

それではまた(^^)/

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最終日公演特別版 TBSチャンネル2
8/29(土)午前10:00

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2021-08-24 | Comment(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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