見るのが遅くなってしまいましたが、先月の末に上がっていた
こちらの記事ですが、羽生選手とブライアン・オーサーに関する
ものでした。
羽生結弦は「ミスタートリプルアクセル」に師事し、
世界王者の称号を獲得【師と弟子のオリンピック】
オリンピックチャンネル
「羽生結弦はフィギュアスケート男子シングルで66年ぶりのオリンピック連覇を達成し、2020年2月には3つの国際主要大会を制すグランドスラムを成し遂げるなど、世界のトップスケーターとして君臨する。飛躍を果たした背景には、“ジャンプの申し子”として知られるブライアン・オーサー氏との充実した師弟関係があった。』
※記事の詳細はサイトの方でご覧ください。
羽生選手がクリケットに行く決意をしたのは、オーサーの教え子の
ハビエル・フェルナンデスが2種類の4回転ジャンプを抜群の安定感で
華麗に飛んでいたからでした。
特に4回転サルコウを習得したかった羽生選手には、ハビエルと
一緒に練習することができるのは素晴らしいことでした。
クリケットクラブでは、それぞれの担当コーチを集めた
「チーム・ブライアン」が組まれているので、ジャンプの強化
だけでなく、スケーティングの基礎技術もしっかり行うことで
羽生選手のスケーティングは確実に上達していきました。
それは、ぜん息の持病があった羽生選手にとっても無駄な動きを
減らすことにもつながりましたので、スタミナ面の課題を改善する
のにも、とても良いことでした。
クリケットクラブでのトレーニングで着実に力を伸ばした羽生選手は
2013-14シーズンのGPFで初めて宿敵パトリック・チャンを破り、
優勝を果たします。
GPF王者、全日本王者として迎えた2014年のソチ五輪では、
ショートプログラムで史上初の100点超えとなる101.45点をマーク。
フリースケーティングでも首位となり、金メダルに輝きました。
五輪直後の世界選手権でも優勝し、史上2人目のシーズン三冠を達成しました。
羽生選手は「次の平昌五輪でも金メダルを獲る!」という目標を掲げ、
4年後に向けて4回転の本数と種類を増やしていきます。
2016-17シーズンに新しく取り入れた4回転ループをめぐっては、
オーサーコーチと意見の食い違いがあったことも事実ですが、
話し合ったことで、二人とも目指していたところは同じである
ことがわかり、さらに絆を深めていきました。
2度目の五輪シーズンのNHK杯で、ジャンプの練習中に右足首を
負傷し、苦しい時期を過ごしましたが、ぶっつけ本番となった
平昌五輪では万全なコンディションでなかったにもかかわらず、
痛み止めと気力で、66年ぶりとなるオリンピック連覇を達成しました。
五輪連覇を果たしてもなお現役を続けている羽生選手は、2020年の
2月に行われた四大陸選手権で優勝し、男子選手としては初めての
スーパースラムを達成しました。
今、コロナ禍でフィギュアスケートの主要大会が例年のようには
開催することが困難な状態ですが、羽生選手は次に滑るときのために、
健康に気を付けながら、新しい大技の習得に取り組んでいます。
オーサーコーチも親のような思いで見守っていると思いますが、
何でも話せる良い関係になっていますので、今後もチームブライアンで、
羽生選手をしっかりサポートしていただきたいと思います。
この動画、先月たまたま見つけたのですが、ソチ五輪の金メダルは
日本の羽生結弦かそれともスペインのハビエルか?と聞かれて
オーサーがインタビューに答えているものでした。
英語が堪能ではないので、ご説明ができなくて申し訳ないのですが、
ぜひ、ご覧になってみてください。
リンクを貼るので、YouTubeでご覧ください。
Yuzuru Hanyu or Patrick Chan, Orser talking about Sochi Olympics
◆私が今やるべきこと。 〜フィギュアスケーターたちの
2020〜
テレ朝チャンネル2
9月22日(火・祝) 午後3:00〜
◆羽生結弦プログラムコンサート再放送のお知らせ。
2020年1月に行われた羽生結弦選手の演技映像とフルオーケストラが融合したイベント「羽生結弦プログラムコンサート」がCSテレ朝チャンネルにて再放送されます。
— 公益財団法人日本スケート連盟 (@skatingjapan) September 2, 2020
9/26(土) 18:30 - 21:00https://t.co/Ho3xp0Bb65#羽生結弦 #フィギュアスケート
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羽生結弦とブライアンオーサーカテゴリの最新記事
連日の貴重な記事、懐かしく回想しながら読ませていただいています。本当に有難うございます。
やはりこのオーサーコーチとの出会いは、運命の転換期だったのだなあと思います。勿論、菜々美先生や都築先生達が作られた基礎の上にあることは間違いないのですが。
最近よく思うことは、いくら素晴らしいコーチに師事するためとはいえ、カナダへの半移住状態をよく決断されたなあということです。ご家族が離れ離れの生活を余儀なくされるということも含めて、凄い決断だったのだなと思います。それぐらいの本気度でなくては、五輪の金メダルなんて取れないのだろうなと。
フランスの格言で、『卵を割らないとオムレツは食べられない』というのがあります。似たような格言は各国あると思うのですが、羽生選手は自ら卵を割ったわけです。高校3年生のまだ17歳の男の子がこんな重い決断をしなくてはならなかったこと、一時期は不憫に思いましたが、今となっては素晴らしい決断だったのだなと思います。彼の強い意志と努力や忍耐力があればこそでしたが。
動画を見せていただいて、オーサーコーチのカルガリー五輪での無念の気持ちが心に沁みるように伝わってきました。当時、私はブライアン対決もですが、3位になったペトレンコさんも好きで、男子フィギュアを夢中になって見たことを覚えています。女子は伊藤みどりさん一択で、必死で応援していました。今の採点システムだったら、みどりさんは確実に台乗りしていました。金メダルも夢ではありませんでした。
と、回想しながら、カナダの英雄として活躍し続けたオーサーさんが、羽生選手のコーチであるなんて、本当に感無量です。あの頃では想像もつかないことでした。
当時、日本男子はかなりレベルが低くて、欧米の選手からはかなり離されていました。接点がありそうにもなかった時代です。それが今は、羽生選手の大活躍によって、その頃の英雄のオーサーコーチがクローズアップされることに。二人の運命の数奇さに驚くばかりです。
コロナのために、離れ離れの時間が長く続くかもしれませんが、今後も末永い信頼関係を続けていかれるものと信じています。
アンチや週刊誌が、コーチと決裂とか、コーチをプルさんに変えるとか、しきりに勝手なことを書きまくっていた時がありました。そんな簡単な関係ではありませんよね。もう9年にもなるご縁です。
このオーサーコーチとの関係も素晴らしいですが、羽生選手って、色んな所とのチャンネルを上手につないでいますよね。まあ彼がつながなくても、向こうから寄ってくるわけだから、敢えてしているわけではありませんが。世界各国の選手やコーチ達が積極的にチャンネルをつなごうとしてくることに対して、羽生選手は上手に対応しているなと思います。
マリリンさん、いつも素晴らしい記事を上げてくださり、ありがとうございます。
また、記事タイトルそのまま、ゆづが辿ってきた軌跡を感慨深い思いで浸ることができました。
マリリンさんのご感想、そしてフィギュア歴さんの思いに触れ、まさしく、すべてが運命のようにかみ合わさって五輪連覇、スーパースラムを達成されたのだな〜と胸があつくなります。
そこには註カ選手の強い意志と決意と覚悟と情熱があったからこそだと思います。
そしてオーサーコーチとの出会いは奇跡的に思えます。
カナダは先進国とはいえ、異国での生活はどんなに厳しいものだったでしょう。言語という壁があり、コーチとの相互理解は非常に精神的にも苦痛を伴ったはずです。すべてを乗り越えたからこそ、手に入れた称号だったんですね。ご家族もご一緒に幾多の困難に立ち向かって下さいましたね〜
註カ選手に、コーチに、ご家族に感謝の気持ちでいっぱいです。
今、この不安な時期、ゆづもきっと大変だと思いますが、健康が守られ、回復した未来に向かって頑張ってほしい!とエールを送りたいです。