ゆづオンリーファンの皆さま。(^o^)
最近のアンチツイとか、ゆづの再演を伝統芸能ではない、
みたいな記事だとかで、大事な試合の前になると、
何気にゆづの評判を落とそうとする雰囲気を感じましたが、
今日は、その「伝統芸能」ということに関して、あの
国際ジャッジが述べた言葉に、また、大田龍子さんが、
素晴らしい記事を書いてくださったので、ご紹介したい
と思います。
能とフィギュアスケート・技術と表現について思うこと
pixiv
まず、太田さんが疑問に思ったのは、こちらの記事の
この部分でした。
羽生結弦のフィギュアスケートは伝統芸能か
時事通信社
『あるベテランの国際ジャッジは「同じプログラムを滑ることが
マイナスにはならない」としたうえで、「それでも伝統芸能とは違う」
と付け加えた。
「フィギュアスケートは技術的に難しいものを入れていくことで、
表現は制限されてしまう。そういう意味ではスポーツなので、
バレエなども含めた舞台芸術の表現力、完成度や芸術性、それが
訴えるものにはかなわない。そこでは初めから勝負にならない」と断じた。』
これに関する太田さんの見解がとても見事でした!
『ショパンのピアノ曲などは誰でも弾きこなせるものではない超絶技巧が必要なところが魅力の一つではないでしょうか。それをこなしたその先に顕れるものが人を感動させるのです。』
そして、能の技の中にも大変高度なものがあることに
言及していました。
『能にも技術的、肉体的にかなり厳しい表現があります。たとえば「平臥(へいが)」。垂直にジャンプして空中で脚を組み、あぐらをかいたような形そのままで着地します。わたしは宝生流の「船橋」で見たことがあります。愛し合う男女が仲を裂かれ、だまされて川に転落して溺死、妄執の地獄に落ちたことを表す場面の表現です。重い装束をまとい、涼しい顔をして姿勢よく背筋を伸ばし、はた目には力むことなくリニアのように浮いて、吸い込まれるように着地するのです。上手く撮影すれば仙人の空中浮遊のような場面が撮れるでしょう。高さを出さないときれいに見えませんが、下は固い檜の板でできた舞台ですからランディングはおそらくかなり痛いし怪我のリスクが付きまとう危険な技です。能「船橋」の見せ場であり、同時にこの曲目がめったに演じられないことの理由であるかもしれません。オリンピック級スケーターの4回転ジャンプに匹敵する技だというつもりはありませんが、謡いながら、舞いながら、舞台の流れの中でよどみなく実施するのは難しいと思います。能楽師ならだれでもできるというものでもないかもしれません。ほかにも観音倒れ(体をまっすぐにのばしたまま、仏像が後ろに倒れるように倒れる)など能には結構難しくリスキーな表現があります。』
情景が目に浮かんできますね。
確かに、力んだ顔を見せることなく背筋を伸ばし、垂直に
跳びあがって空中で胡坐をかき、そのまま床に着地するって…(^-^;
ついこの間、ふいにお尻からいきなり着地させられた私に
したら、想像するだけで、この平臥という技がとんでもなく
高度であり、危険を伴う技だということがわかります。
観音倒れ(体をまっすぐにのばしたまま、仏像が後ろに倒れる
ように倒れる「観音倒れ」も、頭を打つだけでなく、背中や腰など、
体全体を打撲し、骨折する可能性がある危険な技だという
ことは、容易に想像することができます。
『何が言いたいかというと、人を感動させる、心に食い込むような表現には小綺麗さや華やかさ、なめらかさ、安定感などだけでなく高い技術、そして勇気がいるということです。』
本当にその通りだと思います!
普通は難しいことを行う時、難しい顔をになったり、
苦しそうな表情になったりするものです。
しかし、そのようなことを、見ている人に微塵も感じさせる
ことなく、ごく自然に、そして美しくやってのけるからこそ、
達人とか、名人とか、一流と、呼ばれるのだと思います。
それは、決してすべての能楽師ができるわけではないに違いありません。
『こうした表現のできる技を持った立役者、花形が出て、時に競い合うことで伝統芸能は数百年の命脈を保ち、残ってきたのです。きれいな衣装をつけて型どおりにひらひらしているのが表現だ、とおっしゃっているわけではないと思いますが「技術的に難しいものを入れていくことで、表現は制限されてしまう」というのは当たっていないと思います。技術の進化は表現の可能性を広げるものです。ただ、ぎりぎりやっと出来る、という技ではストレスが大きすぎて見る人に何かを伝えるまでに至らず、全体のバランスも欠いてしまうからマイナスになるということではないでしょうか。』
太田さんがおっしゃるように、「技術の進化は表現の可能性を
広げるもの」であるというお考えに心から共感いたします。
『伝統芸能の多くは素朴で庶民的な楽しみから始まってたくさんの演じ手やごひいきの力で長い時間をかけて洗練されてきたのだと思います。バレエダンサーも最初から「芸術家」だったわけではないと聞きます。スポーツを観戦するという楽しみ方が日本に入ってきたのは比較的近年のことです。スポーツ、芸能という概念自体、それほど確固たるものではないかもしれないという気がします。すべては刻々と変化しているのです。フィギュアスケートだってオリンピック競技になってからも随分変化がありましたし、プルシェンコ選手、羽生選手のような積極的に技術や表現を高めようとする方々によって劇的に進化しています。その進化にジャッジや様々なシステムが技術的に、そして意識の上でも追い付いていないという気がします。
「技術的に難しいものを入れていくことで、表現は制限されてしまう。そういう意味ではスポーツなので、バレエなども含めた舞台芸術の表現力、完成度や芸術性、それが訴えるものにはかなわない。そこでは初めから勝負にならない」という発言は本当にそういわれたのかわかりませんし、発言を書き留めた方の主観が入っているかもしれません。ただ、ジャッジの方にはふさわしい修練を心がけて、心を開いて目の前で起きていることをきちんと見ていただけることを願うばかりです。
羽生選手は競技としてフィギュアスケートを極める道から、さらに次のまだ誰も見たことがないステージに進まれる方かもしれません。これまでにないスタイル、表現、コミュニケーションを発信されているように感じられます。これからどのように進化し、私たちの世界を変えてくれるのか、本当に楽しみです。』
太田さんが言われるように、確かに今のフィギュア界は、
「羽生選手のように積極的に技術や表現を高めようとする
方々によって劇的に進化しています。
その進化にジャッジや様々なシステムが技術的に、
そして意識の上でも追い付いていない」という気がして
いるのは、私達羽生選手のファンの共通した思いです。
つまり、時事通信社が取材した(であろう)国際ジャッジも、
本当の意味では、技術と芸術の融合というものを理解できて
いないのではないでしょうか。
フィギュアスケートは採点競技だから、点数がつけられる
だけであり、もしも能を見た後に、経験豊かな能楽師に
「今日の舞台は何点だったと思いますか?」と尋ねてみたら、
伝統芸能である能でさえも、たちまち「採点」の対象に
なりえるわけです。
伝統芸能や、その道のプロに対して失礼極まりないから、
誰もそのようなことを聴かないだけで。
しかし、技術、音楽、表現力、感情を込めて演じる
という部分では、フィギュアもバレエも狂言も共通している
ところは多々あります。
例えスポーツであっても、自分の持つ技術をどのように
芸術的に演じることができるか、ということにこだわり、
日々、自分の技術と演技に磨きをかけ、表現の幅を広げて
いるのが、五輪連覇のチャンピオンである、羽生結弦選手
なのです。
それを正しく評価しきれない、しようとしない、させない
ISUのやり方に憤りを覚えるとともに、今後の採点ルールが
一日も早く、正しい技術を持つ選手ファーストになるように
願うばかりです。
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マリリンさん、太田さんの記事、ご紹介ありがとうございました。
何と時に適った記事を出して下さったのだろうと、とても感激しました。
そして、その記事を更にマリリンさんのことばで引き立たせてくださり、噛み締めながら読ませていただきました。
こんな素晴らしいエッセイストの方がこれ程まで註カ選手に寄り添った記事を、しかも、その国際ジャッジに対して堂々と疑問を投げかけて下さって何とも心強いです。
とても分かりやすい解説と納得の行く内容で如何に註カ選手が凄いことを成し遂げようとしているかを理解して下さっていることを本当に嬉しく思います。
いつも註カ選手の良き理解者でいて下さる太田さんに心から感謝いたします。
そして能という芸能の奥深さもほんの少しですが、教えていただけて、とても有り難いです。「平臥」と「観音倒れ」すごい技なんですね〜
まさに一流は一流を知るですね! こうして多くの著名人が註カ選手の演技を正しく評価して下さること、是非、ジャッジや解説者たちに知ってほしいものです。
マリリンさんのおっしゃるとおり、ジャッジがゆづの進化に追いついていないのではなく、敢えて評価したくないところに問題があるのですよね。
マリリンさん、少しは楽になりましたか?
まだまだ、不自由かと思いますが、くれぐれもお大事にしてくださいね!!
マリリンさんお加減いかがですか。
古典芸能が好きな私は太田様の言葉嬉しいです。
芸能でもスポーツでも技術がないものは高みには行けないのですね。
ジャッジさんたちに一度お能をじっくり見せたいですね、理解できないでしょうけど、このジャッジさん舞台芸術に技術は無いと思っているのですね、こんな見る目の無い人がトヨタのあの2人に高得点を出して忖度しても平気なのですね。
太田さんが、書いて下さった記事❗ なかなか、専門的なので、一度読んだ位では、内容を、把握仕切れません。繰り返し 読まなくては。です。
太田さんの、見解がゆづを 良く理解し 冷静に正しく分析し、ゆづを 絶賛して下さる事が、一番 嬉しいです。
確かに、今 採点しているジャッジは、ゆづの、高度な技術と芸術性を、理解出来ない 方、ばかり、としか、言いようが無いですよね。
太田さんの方が、ジャッジより、ずっと、フィギュアの、芸術性と、スポーツの融合を 正しく理解し 書いて下さっています。
能の世界も、よく理解し 分析し、フィギュア❗そして ゆづが持ち備える フィギュアスケートの、世界を、本当に 理解して下さっているのですね。
マリリンさんが、色字を使って書いて下さっている、部分、分かりやすいですね。
「技術の進化は、表現の可能性を広げるもの」「ショパンのピアノ曲などは、……超絶技巧………」
この、辺りも、本当に ゆづの努力が、報われる言葉ですね。
いやいやいや、感想を 書いていたら、切りがないですけど、とにかく、こんなに、ゆづを理解して下さる方、太田さんに、感謝です。
マリリンさん、嬉しい記事を、有り難うございました。\(^-^)/
ところで、
お怪我の方は、いかがですか?まあ、簡単に、痛みが無くなっている、とは、思えませんが…お大事になさって下さいね。
コロナの、ニュースも、日増しに酷くなり、世界選手権が、心配ですね。
ゆづが、体調良く、練習を出来ています様に‼️
素晴らしい記事の紹介ありがとうございます。ゆづをこんなにも深く奥底まで理解して評価してみえる太田さんに感動しました。能の技に例えられ、細かいところまで分析され、ゆづを最大限に評価して下さって本当ありがたいです。
世界選手権まで、ゆづ下げ記事などあまり出ないで無事その日が迎えれる事祈るばかりです。
マリリンさんいかがお過ごしですか。家事は色々と養生したくてもちょこちょこ動かなければならないことばかりかと思われますが、少しでも休めます様に。日毎少しでも良くなります様に。