ゆづオンリーファンの皆さま、こんにちは^^
今週いっぱいは仕事もお休みしてい居ます。
おかげ様でパソコンの前に座っていてもそれほど
痛みを感じない様になってきました。
今日は入院前に読んだ雑誌の中から、「これはお伝えしたい」
と思った部分をご紹介したいと思います。
記事元は「Numberプラス」より
『ユヅルは双葉より芳し。」
松原孝臣氏・文
一部のみ転載・引用しています。
《羽生結弦は競技人生の時どきに出会った人たちに
今なお忘れられない記憶を刻んできた。
花城桜子さんもその一人だ。
彼女は羽生よりも3歳年下で、中学時代にフィギュア
スケートの宮城代表として、全国中学大会に出場、
現在は慶応大スケート部フィギュア部門に所属する。
(花城さんの略歴、羽生選手との出会いについては割愛します)
(羽生選手に対して)心に強く残っているのは何度
失敗してもあきらめない姿と、貪欲さだった。
花城は幼少時にドイツで生活をしたころオペラ座の
バレエ団に入っており、その関係で花城の母もバレエの
レッスンのお手伝いをしていた。
母と一緒にバレエの練習をしていると、羽生が
「俺にも教えて」とお願いしてきた。
花城の母は間節の使い方をはじめとした基礎を教え、
バレエのDVDも貸してあげたという。
現在の見るものすべてを魅了する表現力は、バレエの
要素からも吸収したのかもしれない。
中学1年の時、高校1年の羽生から不意にかけられた言葉は、
今も鮮明に記憶している。
「出る杭は打たれるけど、出過ぎると誰かが引き抜いて
くれるから頑張ってね。」
花城は宮城県から1人だけ出られる全国中学校大会の
有力候補だったが、県連盟から推薦されるかどうか不安に
思っていた。
「今も真意はわからないんですけど…フィギュアスケートは
時に嫌なこともあります。宮城に来る前に教わっていた先生に、
『上手になればなるほど嫌がらせがあるかもしれないけど、
認められている証だから自分を守って頑張りなさい』と
いわれたことがあります。
その頃も代表を巡ってもやもやしている時でした。
彼は私なんかよりももっと活躍していたので、色々あった
のかもしれないし、何か見抜いていたのかなと感じました。」》
Number PLUS

幼い時から容姿もさることながら、人並み以上の努力で、
才能を伸ばし続け、宮城県ではとりわけ注目されていた
羽生結弦選手。
花城さんも『あ、あの上手い人だ。本当にうまいな。
それが初めて見たときの印象でした」と語っているほど、
羽生少年はうまさの点でもひときわ目立っていました。

そのせいでしょうか。
五輪連覇した後に報道された、高校時代の悲しかった
ことなど、羽生選手にしかわからない「目立つ存在」と
なった、トップアスリートゆえの悩みもあったのだと思います。
この笑顔の裏にはいつも、同世代からの嫌がらせや、妬み、
誹謗、中傷、そして有名になればなるほど、今度は他選手の
ファンによる悪質なツイッターや、ブログ記事など。
「どうしてこんなに嫌なことばかり言われるのだろう。
自分はただスケートが大好きで、うまくなりたくて、
幼い時からの夢を叶えたくて頑張っているだけなのに」
と心を痛めて過ごしたことは想像するに難くありません。




今まではどんなに辛くても「五輪で連覇するまでは
今は金メダルを獲ることだけに集中しよう」と思って
口に出すことなく、心に辛さを抱えながら、頑張ってきた
のだと思います。
辛抱=辛さを抱くこと…ホントにそうですね。(*ノωノ)
だからでしょうか。
五輪連覇という大偉業を達成してからの羽生選手は
公の場でご自分の本音を随分、吐露してくれるように
なったと思います。
「捻じ曲げて報道する局もありました」とか、
「週刊誌の問題があって、何度も死のうと思った」とか、
「ファンもきっと傷ついていたと思います」とか、
「何をしゃべっても悪く言われる、滑っているだけでも
言われる」とか。
目立つ存在となった少年時代から今までずっと、
ホントにたくさんのひどい言葉や記事を毎日毎日、
目にしたり、耳にしたことでしょう。
それが一時ではなく、すでに数年間も続いているのですから、
普通の人なら耐えられなかったと思います。
それでもこうやって幼いころからの夢をかなえるまで
頑張った羽生選手はほんとにすごい人だと思います。
今では「世界の羽生」であり、その人気も実力も実績も
文句なしの世界ナンバーワンです!

最後にこんな言葉が書かれていました。
「言葉とかは気を使っているところがあると思うんです。
でも表情は子供の頃と全然変わらない、なぜか凄いなと思いました。」
そう語る花城さんの中には、「世界の羽生」となった今でも、
羽生選手は昔とちっとも変わっていないんでしょうね。^^
私たちの大好きなゆづは、誰が何といおうと世界ナンバーワンです。
日本の誇りであり、世界の宝です。
ホントに羽生結弦を応援できる幸せに心から感謝して、
これからも増々力を込めて応援していきたいと思います。
■中国ファンもゆづの発言に涙。
世界中に多くのファンを持つ羽生選手の衝撃発言は、
中国のファンにも悲しみと衝撃をもたらしました。
羽生結弦「何回も死のうとした」、中国でも衝撃=
「泣きそうになった」「輝いている人が…」
《2018年4月16日、平昌五輪で連覇を達成したフィギュア
スケートの羽生結弦が東京でのアイスショーに姿を見せ、
トークのフィナーレで「何回も死のうとしました」と語ったことが
中国でも話題になっている。新浪体育の微博アカウントが伝えた。
羽生は13〜15日に自らプロデュースしたアイスショーに出演。
療養中ということでトークのみの参加が予定されていたが、
ジャンプなしでの演技も披露した。
そして最終日の15日のフィナーレでは「一時期、週刊誌の問題とか
いろいろあった時に、なんで僕生きているんだろう、何回も死のう
ともしました。でも、こうやってみんないっぱい応援してくれてるし、
何より幸せなのは、自分が憧れている方々が自分にメッセージをくれた。
本当にありがたかったし、今はスケートやっててよかった、
生きててよかったって本当に思ってます」と語った。
中国でも羽生に対する注目度は高く、ファンが非常に多い。
羽生の苦悩をうかがわせる衝撃的な告白に、中国のネットユーザーは
「泣きそうになった」「羽生は偉大なアスリートであるとともに、
とても繊細なアーティストでもある」
「強さの前に、彼が1人の少年だったということを忘れてしまいがち」
「表で輝いている人が裏で受けるプレッシャーは計り知れない。
今後も頑張ってほしい」など、驚きとともに羽生を応援するメッセージを残した。
また、「何回も死のうとした」という羽生の発言に対して、
複数のユーザーが中島美嘉の楽曲「僕が死のうと思ったのは」を
思い浮かべた、とコメントしている。(翻訳・編集/川尻)》
羽生選手が自身の持つ「弱さ」を話してくれたことで、
羽生選手に対して増々、愛情を感じますね^^
ホントにこれからも負けないで頑張ってほしいです。
■ラバーバンド21日に販売
羽生結弦 ラバーバンドを21日発売 ユヅT店頭販売は当日まで断続的に
羽生結弦選手の祝賀パレードに合わせて企画された
応援Tシャツのうち、通信販売分4万4000枚が15日完売した。
今月4日から注文を受け付けていた。
市や宮城県などでつくるパレードの実行委員会は、22日の
本番に向けてTシャツ8万枚を用意する予定。
残る3万6000枚については、11日に藤崎や仙台三越など
計7カ所で店頭販売が始まっている。
各店は納品状況に応じ、当日まで断続的に販売する。
腕に着けるラバーバンドも21日に発売される。
紫と水色の2種1組で価格は1000円。1万セットを用意する。
取扱店は決まっていない。
これらグッズの売り上げはパレード運営費に充てられる。
市民らからの寄付が1500万円に達するなど、本番に
向けた関心も高まりつつある。
■CWWの通販グッズ
羽生結弦凱旋公演 公式サイト
■仙台パレード地図

PS:いよいよ来週の日曜日は、待ちに待った羽生選手の
二度目の凱旋パレードです。(*^▽^*)
この日のため、嫌な手術を受けて頑張ったので、
何としても、たとえ遠くからでもゆづの晴れ姿を
一目見てこようと思います。
当日は相当な人込みになるでしょうね。
覚悟していってきたいと思います。
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日に日に痛みも薄らいでいるようでよかったです。
パレード楽しみですね。私も14(金)夜から東京の兄の所に泊まらせてもらい2日目のアイスショーに行ってきました。本当に素敵なショーで今も余韻に浸って頭から離れません。15日は日本橋の高島屋に行って残りあるグッズを買って帰ってきました。なんか新幹線の中で涙が出てくるほど私にとって素敵な時間でした。こんな気持ちになったのは初めての経験です。帰ってきてから3日のショーでの事については知りました。以前彼は「言葉1つ1つを大切にしていきたい。ネットや雑誌に掲載されている記事も何十年も残そうと思えば残せるものだし受け継ごうと思えば受け継げるものだから、だから言葉を発するときは本当に大切に語らなきゃというふうに思っているんです」と言っていました。
だから今回ことも自分の事だけ言いたかったのではなく自分の事を通して大切なメッセージを伝えたかったのだと思いました。
彼はつらい経験があったけど言葉に出す事で誰かが手を差し伸べてくれて、信じてくれる人がいてくれて、今こうして生きててよかったと思えてること。自分が誰かの幸せの1部になれたらといっていること
誰かが心の支えになってくれたり、虐めにあっている人、生きる事をつらく思っている人、そんな誰かに言葉が届いて1人で悩んでいる人にゆづは幸せの1部になれたらといい、あなた自身も誰かの幸せの1部になれるよと言っている気がしました。
仙台のテレビ局は殆どが羽生君のパレードの放送ですね
私はお仕事があってパレード行けないのですが
マリリンさんはパレード行くのですね
今回はスゴい人数になりそうですし暑そうなので気をつけて行ってきて下さい
マリリンさん、段々良くなられてるようで、ホットしました
今週は、お休みで良かったですね
パレードに向け、体調万全になるよう、充分に静養して下さいね😊
今日のブログ記事の、花城さんは確か、お母様がウチナーンチュで、震災後、沖縄に住んでいたんですよね
スケートが好きで、フィギュア不毛の沖縄で、苦労しながら、スケートを続けてるって、テレビの特集で見た記憶があります
ゆづの事も、褒めてました
ゆづが、中国杯で怪我をした時、お母様が、ゆづのお母様にお手紙書いて、お礼のお返事にゆづのメッセージカードも入ってて、それが、沖縄のアイスリンクに飾られてるって、昔、新聞で見ました
大学でも、フィギュアスケートを続けてるようで、良かったです
ゆづは、いい先輩だったようですね
さすがです😊
私、ゆづのコンティニューの時の言葉が、今でも、思い出しては、辛くなります
ゆづは、昔から、才能もあり、容姿も良かったので、本当に、色々な嫉妬や妬みがあったのでしょうね
心の内を、ファンに伝えてくれて、ありがたいです
これからも、色んな事があるかもしれないですが、ファンは、全力で応援したいと思います
ゆづの笑顔を守りたいです
ゆづが幸せになるよう、頑張って応援します📣
P S:私も、ゆづは、マリリンさんの、ブログ読んでると思いますよ❤